2007年10月

2007年10月25日

秋の彩

a906db71.jpg石畳を真っ直ぐ進み、瓦屋根の門戸をくぐるとようやく秋の彩


2007年10月23日

謝罪  「申しわけありませんでした」

13:20分、本日最後のブログ

今日、なにげなく自分のブログを検証しようと2ヶ月前まで戻って見ていると9月12日付けにて「通りすがり」さんと「とみいち」さんよりコメントを頂いていたのに気づきました、既存のお客様が独立を希望されている友人を紹介しようとOAランドを訪れたが、店員がパソコンを触ったまま無視をしていた、声をかけようと思ったがそんな雰囲気ではなく数分たっても「いらっしゃいませ」もなく友人とともに気分を悪くして帰られたと言う内容でした。

悲しい書き込みとともに打ちのめされた思いでしばらく声もでませんでした。ミッションもくそもないなあ、ブログを書いて自己満足に居た自分が恥ずかしくてなりませんでした。早速、「悲しいブログへのコメント」と題して全社に回覧を回しました、ある意味お客様には大変申しわけないのですが「感謝」でも一杯です、そんな事が店舗内で横行しているようでは我が社の将来はなく、衰退していくことは明らか、今後、徹底した現場の再教育と中間管理職の教育の強化をはかりたく思っております。お三人のお客様には心からお詫び申し上げます、そして真摯に受け止め再発防止に努め二度とこのような不愉快な思いでお帰り頂くようなことのないように私自身が目を光らせます。できれば直接お詫びしたいと思っております。

また明日からは必ずコメントをチェックします。本日夜、全員を集め話合います



もう今年も今日を入れて70日

昨年の繰越残と年初やそのつど、書いた今年中にやらねばいけない事、改善しなければいけない事、大学ノートに箇条書き、線を引いて消せたのは6割、残りの4割は思いだけで手つかず、また「継続は力なり」と語気強く始めたのが今は頓挫、つくづく自分の意思の弱さを嘆く、とにかく残りの時間できる限り繰越残を少なくして終わることを念頭に

もうすぐ冬

bcd86f46.jpg奥日光の男体山に初冠雪、秋を飛び越して


2007年10月21日

感謝を大切に

「充足感がない」と感じるのは「感謝の気持ちが薄いから」それではどうしたら解決できるか、他人と比較するのではなく、今までの自分の人生の中で辛かったこと苦しかったこと、不満足であった時の事、不遇の時を振り返り、今置かれている現況と比較して見る、「嗚呼あの時と比較したら、職場環境も心の環境も家庭環境も穏やかであり、仕事にも少しは自信が付いた、周りからも信頼されている遣り甲斐も感じる・・・」そう考えられたらおのずと公私ともに感謝の気持ちが生まれる。


折角だから「かき尽くし」

16e58845.jpg落ち着いた和風の店内、足元は畳、後背には障子、広いテーブルと座りごこちの良い椅子、「蛎のたたき」から始まり「グラタン」まで10品目、品の良い女給さんが優しい笑顔で運んできた。

仙台から戻る

本日、日帰りで仙台へ11時21分「こまち」にて・・・。日中は都内と変わらない気温だったが、所用を済ませ、戸外にでると足元から肌寒さを感じる。            4時以降の上りの新幹線「はやて」は全て満席状態、取れた指定席が19時台だった為、「かき」屋さんで食事を取る。



2007年10月18日

いつでもゼロに戻れる生き方

「築いたものを捨てていつでもゼロに戻れるという生き方」先日ある雑誌にフォークの神様と言われた「岡林信康」のインタビュー記事が掲載されていた。筆者は1968年学生運動の嵐がまだ淡く漂っていた時代「大学なんて何になる」という言葉に触発されて高校を卒業すると大学を蹴飛ばし、東京にでて日雇い生活を始めたそんな時、一日の仕事が終わり立ち飲み屋で一杯50円の焼酎と二本30円の目刺しを注文し小銭を置く、そして、目の前にある古びたラジオから流れてきた歌が岡林信康の「山谷ブルース」だったそうである、岡林は「友よ」を初め「手紙」「チューリップのアップリケ」など数々の曲をヒットさせ彗星のように登場し神様とまで祭りあげられたが、三年後、日比谷野外音楽堂で「俺一抜けた」と京都の山奥にこもって音楽活動を停止したそうである。私自身、全てのものを捨ててゼロに戻ることができるか・・・、多分 その覚悟と言うか思いと言うか自分の心の中にはある、金や名声、地位といった陳腐なものに固執する気持ちは更々ない、もともとゼロだったんだから、それよりも自分の中心にある軸だけはぶらすことなく、信念をいつまでも大事する生き方を目指す。               一人ごと・・・「しかし岡林の歌はいいよなあ〜吉田拓郎や長渕剛のような激しいさや怒りをぶつけるようなところはないが、悲しいなかにそっと心に浸みこんでくるやさしいバラードが」「それでも自由になったのかい」なんてなんともいい

2007年10月14日

故郷

68d91b3e.jpg私の生まれ育ったところは、コンビニもなければ映画館もない、自慢じゃないけどまったく何もない、しかし春には「つくし」や「ふきのとうが」芽を出し、川面に反射した光が猫柳の銀色の穂を揺らし、そして堤には延々と続く桜並木、夏には水の張った田んぼに蛍が飛び交う、秋には澄んだ空と雲そして芋煮会、冬には一面の銀世界そんな故郷だ。

 



汽車はいつ来る

70d54834.jpg会津若松駅から会津高原駅行きまで2時間半に一本走る会津滝の原線、冬になるとあたりは白に包まれそのホームの存在さえ埋めつくしてしまう銀の世界。


青い空と

2145a0fc.jpg彩とりどりの木々、「秋の匂い見つけたり・・・」


黄色に染まる

221c0d7d.jpgブナの樹の葉、なんかいいよね・・・。


大内宿

f306ec74.jpg江戸時代、宿場町として栄えた大内宿、藁葺き屋根の家では今も住み、ただの文化財としてだけではなく脈々と代々受け継がれ生活感がある。


いろりのある風景

1b1eff41.jpg日本唯一のわらぶきの駅舎の待合室には囲炉裏があり、自由に温まり、自由にやかんからお湯を注ぎ、お茶が頂ける、くつろぎの空間でもある。湯の上温泉、徒歩2分で誰でも迎えてくれる、絶景の露天風呂がある。

稲架木(はざぎ)

487c344c.jpg昔は家の軒先や田んぼのあちこちでこんな風景が見られた、今はトラクターによる刈り取りから乾燥まで機械化が進みこんな季節の風物詩的光景は寂しいかななかなか見られなくなってしまった。


何よりの楽しみは・・・

1c83f116.jpg農繁期になると、小中学高は休みとなる村全体が活気を見せ総出の稲刈りとなる、そんな時、何よりの楽しみはお昼休みの弁当、3段重ね重箱にはきなこ・じゅうねん、しその葉のおにぎり、稲荷すし、そして2段目には山菜、天ぷら、3段目にはこんにゃく、ちくわ、里芋、人参、たけのこなどなど煮物、ばあちゃん、じいちゃん、とおちゃん、かあちゃん、にいちゃん、ねいちゃん、近所のおばちゃん、おじちゃんとみんなで田んぼの土手に腰をおろし頂いた姿が妙に瞼に焼き付いている。



2007年10月13日

すすきの穂からのぞく

2413c435.jpgススキの穂を透かして紅葉の紅や黄の情緒を感じる


ぶなの木、富国論

16c90a90.jpg「唐松亡国論」なんてことばがある、痩せ地に育つ唐松に反し、ブナの広葉樹は落ち葉が腐葉土を生み土壌を肥やし、雨水をたくさん地中に貯め、空気を浄化させる、白神山地や尾瀬などがこれである。

たった2時間で・・・

7e481aa6.jpg天然の鮎はうまかった、頭から尻尾までつつがなくいただけた。


ぶな坂の清水

cfaaed61.jpg苔むし落ちるる水しぶき


会津駒ヶ岳

9213da0e.jpg紅葉と澄んだ空と白い雲、遠くに見える名峰、会津駒ケ岳2133m(多分)、桧枝岐の登山口から5時間、遠く澄んだ日は日光、尾瀬が原、越後の峰々を臨む。


 



山燃える

fdbb377b.jpg楓とならんで、山々を燃やす漆の葉(うらじろ)とも言う、例年ならすでに一面を染めるこの時期、所々色ずく箇所を見つけ空想の世界で燃やしてみる。


貸切だ

0b4ab497.jpg午前10時2分、村営小豆沢の湯、まだ誰もいない、ゆったりとのんびりと一人じめ


2007年10月12日

山門を抜けると

3c4fa643.jpg長い階段が続く


藁葺き

02f39e55.jpg昔の人はガスもなく、電気もなく、それでも生きてきた


仁王立ち

15fd0f1a.jpg動じることなく堂々と

2007年10月11日

新宿の夕暮れ

a4a10d21.jpgビルの谷間に