長くお付き合い頂いている教会の牧師さまから頂いた「特集文」を紹介させて頂きます。とても心に残ったので皆さん方にも読んで頂ければ幸いです。
「日本国際飢餓対策機構・特命大使 神田英輔氏の講演から」
ー極貧のなかにあってなお、他人を思いやる心を持つ人がいるー
1985年ー。エチオピアでは一年間に100万人が餓死したと言う衝撃的な報道がありました。私たちはこの緊急事態に応えるため、エチオピアに食料を届けることにしたのです。なかでもエチオピア北のゴンダールに向かいました。
ゴンダールでは一か月以上食べていないという人が集まり、到着するはずの食料を待っていました。少し離れたところでは、子供達が石を拾って口に入れている光景も見られます。それほど、食べるものがなかったのです。裸足、裸に近い子供たちでした。食料の配給を始めて間もなく、8歳と4歳くらいの二人の貧しい少女がやってきました。裸のからだにいくらかボロがくっついていると言う身なりです。
聞いてみると、ウオロと言う隣の州から来たといいます。ウオロと言えば、ここまで来るまでの間に3000m級の高い山が3つ、深い谷もあります。しかも車の通る道などありません。そこを食べるものもなく、3日3晩歩きづめに歩いてきたと言うではありませんか。
更に、3ヶ月前にお父さんが亡くなり、弟たちも亡くなった。お母さんは1ヶ月前に目が見えなくなった。そんなとき、ゴンダールに行けば何か食べ物がもらえると気いたそうです。私が2人の少女に食料をあげようとすると、兵隊は「この土地以外の人間はダメだ」と割って入ってきました。そのうえライフル銃の台尻で二人を押し倒したのです。転んだ2人は立ち上がると逃げていきました。
私は何とか2人に食べ物を与えようとしたのですが、兵隊がいて自由がききません。兵隊が立ち去ったときには既に二人の姿はありませんでした。
あくる日、私は朝早くから、二人の女の子を探し歩きました。どうやらその女の子を泊めた家があると、何人目かに出会った早起きの農夫が教えてくれました。泊めてくれた家があったのだ・・・。ほっとしてその家を訪ねると、なんとも垢だらけで汚い、ボロをまとったおじさんが出てきました。しかもそばによるととても臭いです。
「ウオロから来た2人の子はここに泊めたよ。・・・なんだあなたは昨日食料を配っていた日本人じゃないか。ありがたく頂いたよ。それを家族みんなで料理して、1ヶ月ぶりに食事をしたんだ。二人の子も一緒にね」
「2人は、けさ暗いうちにお母さんが心配だからウオロに帰ったが・・・。昨日もらった食べ物はいくらか持たせてあげたよ」
おじさんの家族にとっても、なけなしの食べ物だったはずです。それを他人にふるまい、その上いくらか持たせて帰らせたと言うのです。おじさんはこうも言いました。
「自分がもしあの女の子だったら、そうしてほいしいと思うだろう? 何事によらず、自分がしてほしいと思うことを他人にするのは、人間として当然のことだよ」と。
自分の家族が明日食べる食料さえおぼつかないのに、困っている他人がいれば分けて与える。
人がもっとも美しく輝く瞬間、それは自分にとって大切なものを、人と分かちあう時ではないでしょうか。あなたは、自分を美しく飾ることの関心を持っていませんか?美しい着物、美しいアクセサリーを身につけたい。いい学校に、いい会社に入って出世もしたい、お金持ちにもなりたい・・・。それもいいでしょう。
しかし、人間にはもっと大切なことがあるのです。あのボロを着た汚くて臭いおじさんが、人として見事に輝いているのもその一つです。