今朝、会社につくまでの道のりで再認識したこと。
昨日のセミナーでこんなことも話しました。
私はここまで、広告費にしても賃貸ビルにしても
人に対しても、自分のここまでの時間にしても
たくさんの投資をしてきました。
結果、ラジオCM・テレビCM広告で言えば、実利的には、その広告で売上増に繋がったものは、ほとんどありませんでした。
また今借りているビルの賃貸時は、不動産&内装屋さんとの食い違いからの民事裁判、その一年間と言うのは七転八倒の苦しみで自分自身に腹が立ち、悔しくて、自分の判断の甘さが原因と歯ぎしりしながら眠れない一年でした。
でも今があるのは全て、それらの投資が要因だと思っています。
公私ともに思うことは・・・
『あれより』は、この目の前にある問題の方が、心労なく楽に判断できる。
『あれより』は投資額、投資対価が少ない。
と言うことで、次に遭遇する諸問題に対して、スピーディに的確に対処できるようになっています。
人はともすると私もそうですが、辛いこと、苦痛を伴うところから嫌なことからは避けたいものです。
でも『あれより』はと言う、過去にある沢山の経験、沢山の投資【難問や苦悩、苦痛から逃げずに、或いは偶発的に克服してきたから】があるからこそ、それと比較し、判断もできるし、勇気を持って対峙できる心の筋肉がついてくるということではないでしょうか。
そして今後遭遇するであろう、過去と同じ大きさ、同じ重さの問題に対してもまったく違う感覚で楽に対象できるようになると思います。
「私はできません、嫌です、無理です」を心の中で繰り返し何もしないで一生ネガティブに時間を刻んでいたら、せっかくの『あれより』はの貯金ができず、どんどん自分の可能性は萎んでしまう人生になってしまいます。
そして、そんな人に限って「自分は運がないと嘆きます」
ある銀行の私が尊敬する方はこんなことを仰っていました。3年毎の転勤の中で先輩方が、異動になる時、これ幸いと「それ私に、その仕事私にやらせて下さい」を繰り返しながら自分のスキルを上げてきましたと。
最後に以前、収益TOP3%セミナーの石原明さんが
以前こんなことを言っていました。
『投資とは、対価を期待せず行うもの」
氏が言っていることと、自分が理解したことに差異があるかもしれませんが・・・
私はこう解釈します。
なんらかの対価を意識し、対価を求めて、やるのではなく。
無心に無欲に自分の信念に基づいて行動し、自分の体、自分の心、自分の時間を投資することにより、いつか大きな対価となって返ってくると・・・。