4年前の今日、母は天国に旅立った

当時は博多店にて単身赴任、危篤の知らせを聞き
博多空港から仙台空港へそして郡山経由で会津へ
ところが仙台のホームで慌てて「はやて」に乗ってしまい各駅には止まらず
ノンストップで郡山を通過し大宮までそして急遽反対側の新幹線へ
じりじりと臍を嚙む時間の経過

私は3人兄弟の末っ子で、一番長く母の側で色々な苦労を見てきたせいか
大人になったら楽をさせてやろう、楽しい思い出をいっぱいつくってあげようと

果たしてどうだったろうか
孝行したい時は親はなし

ただ、亡くなる13年前から自分の誕生日に「産んでくれてあがとう」
コールを入れていた、最初のころは電話の向こうで絶句し咽び泣き

実家に帰ったらいつも抱きしめて「ただいま」戻る時は「元気でな」と
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起業して5年目、帰郷すると、いきなり離れの部屋に呼ばれ
「なにか隠していることはないか?」と
「いや、なにも」
「兄ちゃんがお前の会社へ電話入れたら室井は辞めさせた」と聞いたと
仕方なく、起業したことを告げる
「そうか・・・」
「でも、なにをしてもいいが、
   人に迷惑を掛け後ろ指をさされたり、新聞沙汰だけにはならないでくれ」と

それからは家族を大事にしろ、社員を大事にしろ
会社なんか大きくしなくていいから堅実にと、随分聞かされた
晩年は医者の誤診もあり、緑内障から全盲に 

4年前の今日、21時24分永眠
その日から告別式まで4日間、同じ部屋で隣に寝て
深夜に起きては冷たくなった母のおでこを撫ででいた記憶が

人は誰しも、いづれは、このホシを去る時がくる
それまで如何に悔いのない時間を送るか

実際は「悔いだらけの人生」だけど嬉しいこと楽しいことも
勿論、悲しいこともたくさんあってこそ人生

まだまだ道半ば