今回のワールドカップでドイツ、スペイン戦と同点ゴールを
決めた堂安律選手の話を聞いて共感を覚えた
小学生の時、セレッソ大阪の下部組織(アカデミー)でテストを受け落とされた
その時、思ったことは
「今度あちらから声が掛かったら、一秒で断ってやる!」と
それを「糧」にして猛烈に練習に励み、結果を出す
そして中学生で声が掛かった時
「ガンバ大阪にいきます」と一秒で断ったという話を聞いた
それを聞いてあることを思いだした
起業して12年目の時、私の不徳もあったが
ひとりとなり所沢に戻り再出発を図る
金融公庫からのまだ残る借金、銀行からは家を抵当に
妻を第二保証人としての借り入れ金
手元に残るは300万円くらいだったと記憶する
ある時、新規のビジネスを考え
そこに投資するためにはどうしても資金的に厳しい状況
そんな時、埼玉県内のある地銀が「当行はリテールバンクです」
「どうぞお気軽にお越しください」というラジオか電車広告
早速、電話を入れると「3期分の決算書をもって来い」という
徹夜で書いた事業計画書も合わせて持参
3日後、アポイントをとり約束の時間に行ってみると
20分以上待たされ挙句、結果は10分程度で断られた
悔しくて悔しくて・・・
「今に見てろ!今度むこうから来たら断ってやる!」と
結果、地元の信用金庫の支店長が私を気にいってくれ
後日、決算書は当然だしたが無条件で1500万の融資をしてくれた
それからはどんなことがあってもその信用金庫との取引は継続している
数年後、その地銀の別な営業マンが訪問してきた
とにかく、最後まで話を聞き、最後に
「あの支店の右隅に座っていた小太りの眼鏡をかけた担当者に
けんもほろろに断られたこと」を伝え帰って頂いた
それから3年くらいはその地銀からの訪問があったが
来るたびに同じことを伝えていたので流石に訪問はなくなった
ただ今でもあの情景は目に脳裏に焼き付いている
2006年の時、2009年12月上場を目指した
嗚呼、上場したらパーティでその銀行の頭取に来てもらい
「〇〇銀行さんのおかげでそれを糧にここまでやってこれました」と
感謝の言葉を述べられるなと思ったものだ
ここまで38年、色々な試練、紆余曲折はあったが
理不尽な屈辱、悔しさ
そんなことが自分のエネルギーとなり
反骨精神に火をつけここまで続けてこれたと自己分析する
「会津」という地で生まれ
「勝てば官軍」という言葉をどこかで耳にし
勝てばどんなことでも「良し」となるのかと反発を覚える
そんなことから野球はアンチ〇〇だし
高級車に乗って、ブランド品を身につけ
銀座で豪遊している人間が高級な人間だとは決して思わない
勿論、羨ましいとも思わない
横暴な権力、横暴な相手には絶対屈したくない
今は孫の運動会でも走る順はタイム順、
学芸会でも白雪姫が複数
モンスターペアレント
先生が委縮、精神に異常をきたす人もいると言う
いつの頃からなんだろう
ゆとり教育あたりからか?
昔は少しくらい勉強なんかできなくても
運動会では得意の足を活かし
その日だけは胸を張って汗を流せる場があった
そしてそれが学校生活を通しての自信にもなった
そんな子たちが案外大きくなったら大成する
運動会でもなんでも負けたら悔しい、次こそ
そんな反骨魂こそが今後の日本を支えていく若者を形成するのではないだろうか
会社の最終面接、これまでの数々の採用の失敗を糧に
私は学業より、その学生がここまでどんな環境で
どんな人に囲まれ、どんな触れ合い方をしてきたか
どんなことに苦しみ、怒り、喜びを感じて生きてきたか
そしてそれを見返すためどんな行動をとってきたか
をより深く掘り下げて聴くようにしている
私は今でも、どんな時でも「今に見てやがれ!」は健在だ
まだまだ経営においても満足していない
まだまだこれから
堂安律選手の「優勝してやる」はここまでの結果を見ると
決してビックマウスとも言えないのではないだろうか
今後の結果はどうあれ
彼の強い意志の表れ、そのものなんだから
決めた堂安律選手の話を聞いて共感を覚えた
小学生の時、セレッソ大阪の下部組織(アカデミー)でテストを受け落とされた
その時、思ったことは
「今度あちらから声が掛かったら、一秒で断ってやる!」と
それを「糧」にして猛烈に練習に励み、結果を出す
そして中学生で声が掛かった時
「ガンバ大阪にいきます」と一秒で断ったという話を聞いた
それを聞いてあることを思いだした
起業して12年目の時、私の不徳もあったが
ひとりとなり所沢に戻り再出発を図る
金融公庫からのまだ残る借金、銀行からは家を抵当に
妻を第二保証人としての借り入れ金
手元に残るは300万円くらいだったと記憶する
ある時、新規のビジネスを考え
そこに投資するためにはどうしても資金的に厳しい状況
そんな時、埼玉県内のある地銀が「当行はリテールバンクです」
「どうぞお気軽にお越しください」というラジオか電車広告
早速、電話を入れると「3期分の決算書をもって来い」という
徹夜で書いた事業計画書も合わせて持参
3日後、アポイントをとり約束の時間に行ってみると
20分以上待たされ挙句、結果は10分程度で断られた
悔しくて悔しくて・・・
「今に見てろ!今度むこうから来たら断ってやる!」と
結果、地元の信用金庫の支店長が私を気にいってくれ
後日、決算書は当然だしたが無条件で1500万の融資をしてくれた
それからはどんなことがあってもその信用金庫との取引は継続している
数年後、その地銀の別な営業マンが訪問してきた
とにかく、最後まで話を聞き、最後に
「あの支店の右隅に座っていた小太りの眼鏡をかけた担当者に
けんもほろろに断られたこと」を伝え帰って頂いた
それから3年くらいはその地銀からの訪問があったが
来るたびに同じことを伝えていたので流石に訪問はなくなった
ただ今でもあの情景は目に脳裏に焼き付いている
2006年の時、2009年12月上場を目指した
嗚呼、上場したらパーティでその銀行の頭取に来てもらい
「〇〇銀行さんのおかげでそれを糧にここまでやってこれました」と
感謝の言葉を述べられるなと思ったものだ
ここまで38年、色々な試練、紆余曲折はあったが
理不尽な屈辱、悔しさ
そんなことが自分のエネルギーとなり
反骨精神に火をつけここまで続けてこれたと自己分析する
「会津」という地で生まれ
「勝てば官軍」という言葉をどこかで耳にし
勝てばどんなことでも「良し」となるのかと反発を覚える
そんなことから野球はアンチ〇〇だし
高級車に乗って、ブランド品を身につけ
銀座で豪遊している人間が高級な人間だとは決して思わない
勿論、羨ましいとも思わない
横暴な権力、横暴な相手には絶対屈したくない
今は孫の運動会でも走る順はタイム順、
学芸会でも白雪姫が複数
モンスターペアレント
先生が委縮、精神に異常をきたす人もいると言う
いつの頃からなんだろう
ゆとり教育あたりからか?
昔は少しくらい勉強なんかできなくても
運動会では得意の足を活かし
その日だけは胸を張って汗を流せる場があった
そしてそれが学校生活を通しての自信にもなった
そんな子たちが案外大きくなったら大成する
運動会でもなんでも負けたら悔しい、次こそ
そんな反骨魂こそが今後の日本を支えていく若者を形成するのではないだろうか
会社の最終面接、これまでの数々の採用の失敗を糧に
私は学業より、その学生がここまでどんな環境で
どんな人に囲まれ、どんな触れ合い方をしてきたか
どんなことに苦しみ、怒り、喜びを感じて生きてきたか
そしてそれを見返すためどんな行動をとってきたか
をより深く掘り下げて聴くようにしている
私は今でも、どんな時でも「今に見てやがれ!」は健在だ
まだまだ経営においても満足していない
まだまだこれから
堂安律選手の「優勝してやる」はここまでの結果を見ると
決してビックマウスとも言えないのではないだろうか
今後の結果はどうあれ
彼の強い意志の表れ、そのものなんだから